2012年3月31日土曜日

ラボーチキンLa-5FN







もともと水冷のLaGG-3に大馬力の空冷星形エンジンを載せたところ、予想以上の性能向上が見られ、設計のよさが証明された。もとのLaGGは合板で作られていたけれど、出力強化に伴い金属の胴体縦通材に換えられた。それにしても、650km/hの最高スピードはすごい。スターリングラード攻防戦でも活躍し9000機以上生産されたという。 いわば、ソビエト版の五式戦闘機かな。


全幅9.80m  全長8.60m  翼面積17.5㎡  全備重量3,360kg 
エンジン:ユベツォフM82FN 1,640hp  最大速度648km/h
武装:20mm砲×2  爆弾150kg  乗員1名
 「第二次世界大戦軍用機ハンドブック」   wikipedia

ドヴォアチンD.520







 なんか、こんなスタイルの犬がいませんでしたかね。どうもキャノピーから尾翼のラインがヘン。それでも、ぼろぼろだったフランス軍にあって、当時唯一Bf109に対抗できる戦闘機だった。ただあまりに早くフランス空軍が壊滅してしまった。残念!
 マリーンエンジンを積んだ機体もあった。1600hpを積んだテスト機は9,150mで658km/hを出したという。他にもD.520を小型化し速度記録機D.550があり、1939年11月に706.5km/hを記録した。
全幅10.20m  全長8.75m  翼面積15.9㎡  全備重量2,780kg 
エンジン:イスパノスイザ 910hp  最大速度529km/h
武装:12.5mm砲×4  乗員1名
 「第二次世界大戦軍用機ハンドブック」   wikipedia

震電







 小学校のときプラモデルのパッケージで震電を見て日本にもこんな飛行機あったのだと感激した思い出がある。当時は雑誌など手に入らず、もっぱらプラモデルのパッケージが情報源だった。
 写真が何葉か残されているが・・・先尾翼で鶴が舞い降りたような脚でたたずんでいる姿は本当に美しい。「美しい機体は性能がいい」というジンクスを考えると究極のレシプロ機を感じさせる。
 しかし、メッサーシュミットやフォッケウルフやスピットファイアーが改良を重ねることで究極のレシプロ機に近づいていったことを考えると基本設計のゆとりや基礎的な工業力の支えが日本にはなかったと言わざるを得ない。零戦は21型が完成形でそれ以後の改良は、かえって不具合を生じた。1000馬力エンジンで完成形だったので、2000馬力エンジンを支える強度がなかったのだ。メッサーシュミットやスピットファイアーの最終形は2000馬力超エンジンを積んで飛んだ。強度も増していったのだ。そこにはねじ一本に至るような地道な部分での基礎工業力の差があったのだ。
 震電は発想を変えて新たな設計で究極のレシプロ機を目指したが、戦時にあっては改良で性能をアップする方が最善であったろう。

全幅11.11m  全長9.76m  翼面積20.5㎡  自重3,525kg  全備重量4,950kg 
エンジン:三菱843-42 2,030hp  最大速度741km/h
武装:30mm砲×4  乗員1名
 「第二次世界大戦軍用機ハンドブック」   wikipedia

川崎五式戦闘機(キ-100)











ご存じ「飛燕」のエンジンなし機体に、三菱のエンジンを載せちまったら、とんでもない性能をだしてしまったという飛行機。もともとのプラットフォームとして「飛燕」がすばらしかった。フォッケウルフに似ているのがたくましさをよけい感じさせる。フォッケウルフは逆に水冷エンジンに進化していったけれど。
 DB601をライセンス生産したエンジンの川崎ハ40が、生産技術の低い中、さらに熟練工を徴兵で引き抜かれ、生産できなくなってしまい、機体だけがならんでしまった。開発者の土井武夫技師は、かなり前から空冷化を考えていたらしい。しぶっていた軍需省が、お役所的な発想から抜け出るのに手間がかかり、試作機ができたのは昭和20年1月。関係者が予想していた以上の性能をあらゆる面で発揮した。
 最大速度は飛燕より30km/h(高度6000m)劣ったが、正面積の大きいエンジンにしては上出来。機首のじゃまがなくなって視界がよくなり、B29迎撃には必須の上昇力がよくなり、軽くなった分空中性能がよくなり、何よりも生産性と稼働性が増した。性能比較では「疾風」3機対「五式戦」1機でも有利な体勢をとれたという。F6Fと互角で戦えたという。
 総生産数が390機というのはあまりに少ない。

全幅12.0m  全長8.8m  全高3.7m  翼面積20.0㎡  自重2,530kg
エンジン:ハ-112-Ⅱ 1,500hp   最大速度580km/h
武装 20mm×2  12.7mm×2  爆弾250kg×2  乗員1名

 「第二次世界大戦軍用機ハンドブック」   wikipedia

ハンドレページ・ハンプデン











1932年の仕様設計に基づき1938年に完成した全金属製の爆撃機である。引き込み脚だけでなく、前縁スラットなど当時としては先進的な機構をもっていた。空気抵抗を減らすために胴体幅が狭く、乗員の疲労が多かったという。横からの図だと分からないが、幅がせまかった。爆撃機につきものの乗員の負傷も身動きできない狭さのため、手当もできないため負傷者を抱えての帰還飛行は地獄だったことが想像される。初期型は防御装備に死角が多く多大な損害を被った。実用上昇限度も7000mに届かず、ドイツ軍機の餌食になった。昼間爆撃機から外され、雷撃任務や夜間飛行を請け負って1942年まで使用され、その後は沿岸警備に回った。
 その形状からフライングスーツケースあるいはフライング・パン・ハンドル(空飛ぶフライパンの柄)と呼ばれたというが、「かわはぎ」に似ていると思う。

全幅:21.08m  全長:16.33m  翼面積62.1㎡  全備重量8.510kg
エンジン:プリストル・ペガサス 1000hp×2  最大速度420km/h 航続距離1,500km
実用上昇限度5,800m
武装7.7mm×6  爆弾1,800kg  乗員4名
 「第二次世界大戦軍用機ハンドブック」   wikipedia

紫電改(紫電21型)






紫電改のタカ」(ちばてつや)の最後の場面で、主人公滝城太郎が教師になりたいなという思いを描いて特攻出撃する。小学生だった私はこの場面に強烈な印象を受け、なぜか教師になってしまった。面接のときに教師志望動機を「紫電改のタカ」を読んで教師になりたいと思いましたと話し、試験官は変な顔していたけれど合格しました。もう30年近く前の話。
 紫電改は実際に特攻に使われたことはない(と思う)。日本の飛行機をどうも敬遠しがちになる傾向がある。それは特攻に使われたことが原因で、重い気持ちになってしまうのだ。紫電改や雷電は特攻に使われなかった。局地戦闘機という名前があるように迎撃専門で航続距離が短かったため。


全幅12.0m  全長9.3m  全高4.0m  翼面積23.5㎡  自重2,700kg
エンジン:誉21型  2000hp   最大速度594km/h  実用上昇限度10,760m
武装:20mm×4  250kg爆弾×2 乗員1名
 「第二次世界大戦軍用機ハンドブック」   wikipedia

ホーカー・タイフーン





 重量級の戦闘機として初めて地位を確立し、戦闘爆撃機というカテゴリーを築いた。バトル・オブ・ブリテンのあとに登場し、西部戦線で活躍し3000機以上生産された。攻撃相手は空中よりも地上の戦車や機関車であった。
 分厚い主翼は高速向きではないと思われるが、最高速度650km/hは驚異である。その源は、2000馬力のネピア「セイバー」エンジン。水平対抗1000馬力エンジンを上下に 合わせたものすごいエンジンなのだ。ゼロ戦2台分のエンジンで飛ばしているんだから 同じ機体に、同じように1000馬力のロールスロイスV型エンジンを上下に合わせた「バルチャー」エンジンを積んだのが、「トルネード」だ。
 「タイフーン」も「トルネード」も化け物エンジンを積んだが、エンジンのトラブルが多く、機体の強度もエンジンに負け気味でバラバラになる機体も試作中はあったらしい。それでも「トルネード」より「タイフーン」の方が実用化に近かったということで、生産命令が出された。問題の厚い翼を直したのが「テンペスト」だ。
 大きなあごが、印象的。サメみたい。

全幅12.67m  全長9.70m  翼面積25.9㎡ 
エンジン:ネピア・セイバー2A2 1800hp  最大速度652km/h 実用上昇限度10,360m
武装20mm×4 450kg爆弾×2  乗員1名
 「第二次世界大戦軍用機ハンドブック」   wikipedia

「陰で支えた軍用機」:4「ホーカー・タイフーン」